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「六つのみたまに」
田奈部隊学徒勤労動員本校生徒殉難者顕彰モニュメント
除幕式の報告(11月30日)

 11月30日(月)、田奈部隊学徒勤労動員本校生徒殉難者顕彰モニュメントの除幕式を行いました。

 昭和19年11月30日朝、動員先の陸軍東部補給廠(ほきゅうしょう)田奈部隊(現・こどもの国)に出勤途中の旧制横浜第二中学校4年生を乗せたトラック3台のうち1台が横浜市港北区(現青葉区)奈良町住吉神社脇で奈良川に転覆する事故が発生し、6名の生徒の尊い命が犠牲になりました。

 事故から71年のこの日、6名の先輩方を悼むとともに、記憶の風化を防ぎ不戦の願いを伝えてこられた中学第28回卒業生 (ふたば会)を顕彰するため、本校創立101年目の新たな誓いとしてこのモニュメントを設置することにしました。

 除幕式には、佐藤校長ほか翠嵐高校職員、生徒会役員、中学第28回卒業の「ふたば会」の方々、翠嵐会の方々、そして旧神奈川高等女学校(現神奈川学園)の方が参加しました。

 モニュメントは、創立80周年の際に植樹された6本の「横浜緋桜」の近くに設置されました。「横浜緋桜」は、中学28回卒業生の白井勲さんが作出されたサクラの品種で、ソメイヨシノに先駆けて咲き、本校に春を告げてくれるサクラです。




翠嵐会会長挨拶


顕彰モニュメント除幕


献花


校長 追悼の辞


生徒代表の言葉


ふたば会代表 追悼の辞


モニュメントと6本の横浜緋桜


6本の横浜緋桜(H27/3/30撮影)


 顕彰碑には次の文字が刻まれています。

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六つのみたまに

田奈部隊学徒勤労動員本校生徒殉難者顕彰

 昭和20年に終戦を迎えたさきの大戦中、出征による労働力の不足を埋めるため、本校生徒は横浜市内の軍需工場で生産活動に従事しました。

 昭和19(1944)年11月30日朝、動員先の陸軍東部補給廠田奈部隊(現・こどもの国)に出勤途中の旧制横浜第二中学校4年生を乗せた3台のトラックの1台が横浜市港北区(現青葉区)奈良町住吉神社脇の路上(現県道139号こどもの国通り住吉神社前交差点北側神前橋バス停付近)で奈良川に転覆する事故が発生し6名の生徒の尊い命が犠牲になりました。

 事故現場には昭和28(1953)年に田奈慰霊碑が事故当時の4年生、中学第28回卒業生(ふたば会)の手で建立され、同年11月29日に除幕式と慰霊祭が執り行われました。以来、昭和39(1964)年11月29日と昭和60(1985)年11月30日にふたば会による慰霊祭が、昭和41(1966)年5月1日には翠嵐会と共同の物故者法要が行われ、毎年11月30日の命日には中学第28回卒業生が田奈慰霊碑に集まって、お参りを続けてきました。

 事故そのものが軍事機密にかかわることで公にされず、記録も残されなかったため、ふたば会は後世に事実を残すため、昭和61(1986)年8月31日に冊子「神奈川県立横浜第二中学校二十八期生の記録」を刊行し、事故を風化させないよう語り継ぐとともに何もかも破壊してしまう戦争の現実や平和のありがたさなどについて伝えてきました。

 この場所には平成5(1993)年2月ごろまでプールがありましたが、現在のプール設置に伴い撤去されました。跡地には殉難者の50回忌と本校創立80周年を記念し平成6(1994)年10月、犠牲者を偲んで6本の桜の木がフェンスに沿って植樹され、それを示す「學徒勤労動員殉難慰霊之櫻木」の石柱が建立されました。桜の木は同期白井勲氏が研究の結果つくりだした新品種「横浜緋桜」で3月終わりごろに濃いピンク色の花を咲かせます。石柱には箱根の溶岩がつくりだした火成岩である小松石が用いられ、6名の命日(事故発生日)、発生場所、建立者、そして建立日として本校創立80周年記念式典の挙行日が刻まれています。

 わが国の戦後の繁栄と本校の隆盛は数多くの先人達のさまざまな苦労の上に成り立っています。国難のさ中、若くして国家に殉じた6名を悼むとともに、長きにわたって亡き友の死を風化させないよう語り継いできた中学第28回卒業生 (ふたば会)を顕彰するため、 本校創立101年目の新たな誓いとしてこの説明書を設置するものです。

平成27年11月30日

翠 嵐 会

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翠嵐会ホームページへのリンクは、
http://www.suirankai.jp/event/past/h27/1130_2/index.html